原作を超えた秀逸なアレンジ

劇場鑑賞中、これは!と膝を叩いたのは、原作には無いアレンジのうち、クモの城の外で佇む「影のアレン」の存在です。剣を持って追いかけて来たテルーに言います。
「僕は、アレンの中に居た光だ、アレンの中に居た不安はとうとう肉体をさらって行ってしまった。僕は影の中に残った光なんだ。」
そうか!これは凄いと思いました。原作をつぶさに読んだ人ならば、唸るでしょう。
ご存知の通り、映画化は第三巻をベースにしていますが、人気の高い第一巻のモチーフを主人公であるアレンに重ねています。(ゲドが大賢人になる前に、自らの内なる影に追われるという筋)
原作では、自分の追われていた物は自らの「影」であるとゲドは気がつき、クライマックスでその「影」と対峙して、全てを内包し「全き人となった」所で終わります。この筋立てが当時非常にセンセーショナルであり、多くのクリエイターを刺激した事は有名なエピソードです。(駿監督然り)
ですが、影はあくまで影であり、内面で立ち位置が逆転してしまうという発想は、今回の「ジブリゲド戦記」オリジナルのもので、ここに気がついた監督スタッフが秀逸であったと思います。
というのも、原作ではゲド一人が誰の助けも借りず、たった一人で立ち向かうのですが、映画では、女性である「テルー」の助けを借りなければ、アレンは「全き人」となれません。この設定は、一巻以降の巻をつぶさに読んでいる人ならば、理解出来る「必然」であり、原作者のグインも、「男性と女性とが互いに補い合わなければ、全き存在にはなり得ない」と物語の全編を通して語ろうとしているからです。
このアレンジは、原作ファンとしては「うまい!嬉しい!」と言わざる終えません。

ああ、やはり今日も語りきれませんでした。まだまだ語りたい事は尽きず、、次回は「女性:テナー/テルー/竜」や「原作の変遷」あたりのキーワドで語りたいと思います。