新にっかん飛切落語会

[落語]
 昨日は久しぶりに、信濃町明治記念館まで「新にっかん飛切落語会」を聴きに行ってしまった。昨年の9月に末娘を出産してから、一人で外出はしていない。毎日、家事と育児に追われ、外に出ると言っても真ん中の息子の保育園への送り迎え程度。買い物も生協の宅配を利用しているから、正に「引き蘢った暮らし」である。この7月からは、また仕事復帰するので、少しその練習を兼ねて、夫に無理を言って会社を半日休んでもらって子守りをお願いした。
 電車に乗るのは半年ぶり、人中に出るのも7ヶ月ぶりである。最後の記憶が、臨月の大きなお腹を抱えて乗った記憶だから、その時の癖できょろきょろと空席を探してしまう。。
「あ、私もう妊婦じゃないんだ。何処に立ってもいいんだ。」
と思うと、何とも言えない開放感。。。妊娠中、何が嫌だって通勤や外出の度に乗らなければならない電車がと〜〜っても嫌だった。3人産んで3度妊婦を経験しているが、ご親切に席を譲って頂いた経験は数える程。産休前は一番重くて辛い時期だが、揺れる電車の中でじっと立っていなければならないのは、何度経験してもしんどかった。(歩いている方がまだ気が紛れる)出来るだけ空いている時間帯、空いてる場所を選んで移動していたのだが、ど〜しても乗らなきゃならない時もある。そんな時、つり革を持って満席の通路に立つと、何とな〜く「ああ、嫌な奴が来ちゃったなぁ。」というのけ者にされる空気が何とも辛い。出来るだけ「優先席」の前に立つようにしているけど、混雑時に平気で優先席に座って、妊婦やお年寄りがその前に立っていようがおかまい無しで居眠りする「ならず者」の輩を見ているのも腹が立って来る。
「日本ってこんな国なんだなぁ。」
と悲しくなるのだが、落語を聞くと
「日本も捨てたもんじゃない!」
と明るい気持ちになれる。そうそう、妊婦に冷たい電車の話しをしたかった訳でなく、夕べの「新にっかん飛切落語会」である。
 不勉強で、「にっかん飛切落語会」が歴史ある会という事を、つい先日まで知らなかった。「初蔵出し」のCDが発売されて初めてその存在を知ったのだが、キーワード検索で「新にっかん飛切落語会」が装いを新たに第一回開催する事をたまたま見つけた。普段なら「子どもが居るから無理だな。」と諦める所だが、出演者を見てどうにもたまらず行きたくなった。だって、今注目の「三遊亭好二郎」若手成長株「柳家三三」大御所「桂歌丸」「柳家小三治」、、、何て、全く外れ無し、満足度100%のお約束落語会はそう滅多にあるもんじゃない。この機会を見逃したら、次は無いかも、、、とまで思い詰めて、考えに考えて「ええいままよ!」と発売日にチケット購入してしまった。
 買ったはいいものの、本当に行けるかどうか、当日子どもの誰かが熱を出さないか、生後6ヶ月の末娘を5時間もお父さんに預けて大丈夫か、、やっぱりチケットは同じ落語好きの実父に譲った方がいいんじゃないか。。前日までもんもんと悩んでしまった。が、、ありがたい事に、全てが順調に運んで何とか出掛けられた。当日の模様を簡単に。

三遊亭好二郎 「壷算」
 好二郎さんの高座を生で見るのは初めて。ニフ亭の「ぽっどきゃすてぃんぐ落語」では一番人気の常連さん。この秋に真打ち昇進が決まって、芸名も「兼好」と改めるとか。真打ち昇進すると自動的に「ぽっどきゃすてぃんぐ落語」から卒業になってしまうのが何とも悲しく寂しいが、これだけの実力があるんだもの、仕方無い。
 好二郎さんの高座はとにかく明るい。出囃子に乗って登場した時の笑顔が本当に明るくてやっぱり生でないと、細かい雰囲気が判らないもんだなと思う。「ようこそお運び頂きましてまことにありがとうございます。」と独特の調子でお決まりのフレーズが入るとそこからは、いつも聞き慣れた「好二郎節」。今回はお後の事を考えてか、枕が短めに感じたが(好二郎さんの枕は面白いのに)「水瓶を割ってしまった。」のフレーズから「あ、壷算」と判った。
 「壷算」は菊可さん、たい平さんのを聞いた事があるが、好二郎バージョンもまた楽しかった!オチも工夫してあって、高座の口火を切るには相応しい一席でした。(あ〜〜、有料でいいから録音をネット配信して欲しい)

桂歌丸師匠 「藁人形」
 小さい頃から「笑点」で親しんで来た歌丸師匠。もう結構なお年だろうと思うのに、お声の張りが全く落ちないのは何故なのか。本当に不思議である。落語家に定年は無いそうだが、年齢と共に声が衰えてしまう芸人さんは多い。しかし、歌丸師匠は違う。花魁、年老いた托鉢僧、托鉢僧の壮年の甥、、と声の調子一つで演じ分けられるのだから、怪物である。
 師匠は「語り部」の域に入られたなぁと高座を聴いて思った。(前の席のお婆さんは、会場の暑さに負けてこっくりこっくり居眠りをしていたが。)

柳家三三 「雛鍔
 三三さんの落語はとにかく凄い。まだ33歳というのが驚きで、あの声は「天性の落語家」だと思う。(落語に選ばれたんでしょうね)「ぽっどきゃすてぃんぐ落語」には僅かに3席しか残って居なくて、もっといろいろな高座を聴きたいと願っていたのが今回叶って非常に嬉しかった。
 「雛鍔」は有名な演目で、いろいろな落語家さんのを聴いたが、三三さんの完成度も高かった〜。あまり、独自の変更は加えず基本に忠実だったのは、後に小三治師匠が控えていたからなのか。でも、師匠の高座の香りが程よく受け継がれていて本当にこれからが楽しみな落語家さんだ。なかなかネットに三三さんの音源が無いので、これから、出来るだけ高座を聴きに行こうかと思う。(でも、時間を作るのは大変だなぁ。)

柳家小三治 「付き馬」
 さすが、大師匠〜!私が中学高校の頃は、小三治師匠は時代の寵児ともてはやされていた。独特のおとぼけ口調と、抑揚のある声の幅で「時そば」なんて何度も聴いた。それこそ沢山の人が高座にかける話しであるが、あの話しを「ダレ」無いで最後まで聴かせる力があるのだから、当時から「違う」と思っていた。
 年齢を重ねられて、お若い頃とは違う味で落語会のトリに正に相応しい笑い一杯の高座だった。(だのに、例の前の席のおばあさんは、一番の佳境でゴゾゴゾガサガサハンドバックの中の整理を始めたから、尚、可笑しい。)
 「付き馬」は人物描写が面白いし、最後、早桶屋の主人と仲の若い衆との噛み合ない掛け合いが一番の見所だが、やっぱり笑ってしまった。(志ん生志ん朝バージョンが大好き)早桶屋の主人を「高倉健風」に演じられるのは小三治師匠だけだろうなぁ。師匠、また高座を聴きに伺います。

 とにかく充実の2時間半だったが、惜しいのは会場。。。広さは充分にある披露宴会場だったのだが、客席に高低差が無いのでどうしても後ろの方は高座が見えにくくなる。かなり高く高座をしつらえてあったが、私の席から(全体で言えば半分より後ろ)では、真っ直ぐ座ると、前の人の頭にすっぽり演者が隠れてしまって、始終首を左右に傾け無ければ声しか聞こえない。すっかり、首が痛くなってしまった。映画はスクリーンが大きいので、多少前の人の頭が大きくてもそのうち気にならなくなるが、落語は噺家さんだけなので、前が見えないと、何だか体育館でCDを聴かされてる気分になってしまう。劇場の高低差ってこんなに大事な物なんだと、改めて認識出来た。

 とはいえ、とにかく久しぶりの落語会は楽しいひとときだった。