「崖の上のポニョ」鑑賞(追記)

[ポニョ][映画感想][ジブリ]
崖の上のポニョ
 昨日「よく判らない」と書いた部分で、ちょっと思いついた所を覚え書きで。。ちなみに、上の子達二人は「もう一度ポニョ観たい!」と騒いでいます。たった一度観ただけなのに、家族全員が覚えている所がいろいろで、それだけにいろんな視点から観る事の出来る映画です。5歳の息子はポニョが無邪気に「手出たぁ〜、足出たぁ〜。」と喜んだ所の台詞をしっかり覚えていて、私は言われるまで覚えていませんでした。


■来し方の家族像と行き方の家族像
 昨日「存在の意味がよく判らない。」と書いた手漕ぎ船の若い家族。あれからつらつらこんな事を考えた。リサと耕一は間違い無く、宮崎監督を含めたあの世代の典型的な家族像だろう。(昨日書いた通り)父は船の船長という重要な仕事の為に不在がち、妻は賢く活動的で立派に子どもの面倒をみながら夫の帰りを待ち、時にヒステリーを起こし、その全てを息子(こども達)は敏感に感じ取って、健気に「父親代わり」を務めようとする。「ぼくが守ってあげるからね。」宗介がポニョに言った言葉は、耕一がリサに言ったであろう約束でもあり、宮崎監督世代の父親達全てが妻に言った言葉なのだろう。(宮崎監督は朝日新聞のインタビューで「果たしたかったのに果たせなかった約束」と言っている。)確かに、耕一はハード面でリサの事を守っている。あの崖の上の家だ。水道タンク、プロパンガス、発電機まである!(使っていない所を見ると非常用だ)玄関を入って都合良く非常灯が何個もあるのが「普通」では無いし、防災無線やら信号を送れるライトまで持っているとは!海で暮らす船長だから、非常時の備えに敏感なのだろう、高台という、最も良い立地を選んで立てている事からしても、「俺が守る。」という並々ならぬ決意を感じる。
 だが、、、一大事に耕一は居ないのだ。そして、宮崎世代の父達は殆どが「一大事に居ない父」だった。そして、妻達は何よりもそれが不満だった。(私もきっと不満に思うだろう。)
 そして、手漕ぎ船の若い父親だ。彼は、何とか家財道具を船一艘に運び入れるのがやっと、モーターも無い小さな小舟に妻子を乗せて漕いでいる。恐らく、家は浸水の憂き目にあったのだろう。低地の家を選ぶという愚を犯したのかも知れないし、非常持ち出しなんて用意もして居なかったのだろう。男目線で見たら「後手後手の頼りない奴」かも知れないが、何しろ、彼は一大事に「家族と共に居た」のだ。この違いは大きい。それが証拠に妻である乳児を連れた婦人は、日傘をさす余裕がある。そして、危機的状況なのに、その表情は本当に穏やかで幸福そうだ。「夫が共に居てくれる。」ただそれだけが。ここまで妻子を幸せにする。
 映画の中では、嵐の異変やグランママールが登場する時、いち早く気が付くのは、耕一達の乗った小金井丸だ。つまり、日常の瑣末な事から「仕事」という名目で沖に出る事が出来る「父親達」は俯瞰で陸地を眺める事が出来るが、陸の一大事に巻き込まれてはいない。手漕ぎ船の若い父親は、ずぶ濡れになりながら、こけつまろびつして、「家」へ飛んで帰ったのだろう。そんな違いを、監督は自身の経験からやや皮肉を込めて描いているのかも知れない。
 実は、こう解釈したのは鈴木プロデューサーの裏話を聞いたからなのだが、(ジブリの若手社員が最近次々とお父さん、お母さんになっている事。)あのシーンは、「頑張れよ〜」と大漁旗まで出して小舟にエールを送る所で終わるが、監督が若い父母達に送りたかったエールなのかも知れないと思っている。

今日の所はこの辺で。