映画のゲド

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ゲド戦記外伝

ゲド戦記外伝

今日は、あまり時間が無いので、走り書き。。。
ゲド戦記全巻を読み終わって、6巻「外伝:湿原で」に登場するゲドが非常に印象的だった。吾郎監督も「トンボ」と、この「湿原で」が良かったとインタビューで答えているが、映画の中のゲドは、まさに「湿原で」のゲドだと思う。小説を読みながら、頭の中に描いていたゲドは、映画そのままの姿だった。

でも、ここでちょっと「あれ?」と思った。
原作「湿原で」のゲドは、固い事を言うならば、3巻以前のゲドであり、アレンと旅に出る前の「大賢人時代」の設定のはずなのだが、、文章を読んで受ける印象が、4巻以降のゲドなのである(厳密に言うならば、4巻後半〜5巻)。少なくとも、私には3巻の「ストイック」で「ピリピリ」するゲドでは無いように思えた。
端的に言うならば、「きちんと女性性とも合一した後の人格」としか思えないのだ。でなければ、未亡人の農婦である「メグミ」の話しにあれだけ真摯に耳を傾け、かつて学院を大変な混乱に陥れた「イリオス」を追って来たはずなのに、彼とはろくに面会をせず、メグミからの話しと、彼女の人となりを見て全てを理解し、去って行けるのだろうか?
大賢人だから、出来たのだと言われればそれまでだが、どうしても3巻のゲドと私の中ではつながらない。

作品が書かれた時系列で言えば、4巻の後であり、原作者もやはり4巻以降の展開が影響されたのだろうなと思う。

そして、映画では3巻そのままのゲドで描かれていない事が、私にとってはとても良かった。映画の中のゲドは、明らかに5巻のゲドである(魔法の力はまだ持っているけれど)。そして、容姿は6巻の「湿原で」が大きなベースになっている。
それはテナーとの会話に現れていて、あんな風に、互いに打ち解けて信頼し合う会話は、事実上の夫婦でしか成立しえない。

「アレンの馬に乗って行っちゃっていいの?」
とテルーが聴くシーンがあるが、原作の4巻ではまだまだ遠慮があって、あのように会話が出来ていない。(そもそも3巻では登場すらしていないし)

「悪い夢を見たようだ。」
アレンがうなされるのを心配するテナーに、返答するゲド。
あまりに、自然過ぎて見過ごされがちな会話だが、長いゲド戦記の原作を見渡せば、ゲドとテナーがこんな会話が出来るようになる為には、長い長い道のりがあって、それを思うと、一番いい所をサービスしてくれたんだな、と素直に思う。

原作の5巻では、ゲドとテナーは本当に羨ましい夫婦として描かれている。
テナーの大切にしていた「緑の水差し」をうっかり壊してしまった事に、自分の粗忽さを苦々しく思うゲド。
「私が居なくても、あの人は私よりも家事が上手よ、でもあの人の様子が知りたいの。」
と、ハンノキに自分が留守中のゲドの様子をしきりに聞きたがるテナー。
ラストの「森へ散歩にもう行った?」と聴くテナーに「いや、まだ。」と答える会話は、非常に印象的だ。
一番の楽しみは、愛するテナーが帰るまで取っておいたゲドの優しさを思うと、深い所で信頼しあっている二つの性の美しさをしみじみと感じる。
恐らく、グウィン女史や、訳者の清水さんは、こんな素敵なご夫婦なのだろう。私たち夫婦も是非見習わなくては。。。