ベネチア国際映画祭

[ジブリ][ゲド戦記]

ベネチア国際映画祭で「ゲド戦記」上映

何だか、とっても嬉しくなった。スタンディング・オベーションを受けた時の、監督やプロデューサーの気持ちはどんなだっただろう。そして、何よりも「よかった。」とほっとしたのが、吾郎監督が初めて「次回作」に意欲を見せる発言をした事だ。あ〜良かった。

渡米以後のブログ更新以降、全く発言が入って来なかっただけに、今後の去就がどうなるのか、やや心配していた。やはり、クリエイションは「場数」を踏んでのものだと思う。
「怖いもの知らず」とは良く言ったもので、何事も「初めて」は経験が無いだけに、怖さを知らない。ところが、一度経験し、その怖さを知ってしまうと、その次の「一歩」がとても怖くなってしまう。吾郎監督も相当に勇気のいる発言だったろうと思う。
私はこの決意に拍手を贈りたい。

私の例で恐縮だが、出産は最初の子よりも、二人目の方が怖かった。特に、妊娠期は自分の体であって、自分のものでは無い事を嫌でも自覚させられたし、自分の無分別がもう一つの命を危険に曝すかも知れない事を、体験から学んでしまった後では、何をするにも非常に慎重になった。

賛辞と同じ分量だけ、酷評をあびただろうと想像するが、そこから「もう一度」と思える強さは、たいしたものだと思う。

ふと、今年の春初めて訪れた「ジブリ美術館」の事を考えた。周知の通り、吾郎監督が総合デザインを手がけた美術館であるが、この建物の面白さはもちろん、運営方法や館内のサービスに至るまで、「独特のサービス精神」があって、好ましく思った。

一つには、子どもの目線や興味を良く知った演出になっている事である。例えば、レストランやちょっとした楽屋裏が覗ける窓には、必ず子ども用の踏み台が用意されている。職人さん達が一心不乱に手仕事をしている様を、子ども達は窓越しから好きなだけ眺められるし、「覗いてみたい。」と思う所には必ずこんな配慮がしてあるのだ。
そして、その配慮と非常に対照的だったのが、「館内への乳母車持ち込み禁止」である。受付を済ませた後、スタッフが親切に預かってくれるのだが、この割り切り方に、吾郎監督のバランス感覚を見た思いがした。
私の子ども達は、乳母車を殆ど使った事が無いのだが(車で移動する事が多いのであまり必要無い)電車が主な交通手段のママ達にとって、乳母車は必要不可欠なアイテムだろう。子どもを乗せるのはもちろん、子ども関連の荷物をぶら下げたり、乗せたりと大変に便利だ。ただ、やはり乳母車はどうしても場所を取ってしまう。特に、それ程大きく無い美術館の中を、いくら入場制限しているとは言え、何も対策を取らないでいたら、通常の閲覧者との間に、コンフィグを起こしてしまうだろう。
実際問題、乳母車の近くに立つと、自分の腰より低い位置に、柔らかい肌の幼子が居る事に、どうも不安感を覚えてしまう。何か落とされたら怖く無いだろうか。(そんな不安感もあって、私は殆ど抱っこおぶい紐派だった)
双方の利害を考えて、吾郎館長が取った施策が、
・乳母車は持ち込み禁止
・その代わり、ベンチの充実、授乳室の充実、トイレのオムツ変えスペースの充実、ロッカーの充実
である。
乳母車は持ち込めないけれど、抱っこやおんぶに疲れたらいつでも座れるよう、沢山の椅子やベンチが用意されていたし、きちんと授乳室もあった(中は覗かなかったけど)。あれほど楽しく美しいトイレに「ワクワク」するようなオムツ変えコーナーを私はついぞ見た事が無いし、乳母車預かり所には、常にスタッフがついているようだった。
この采配は見事だと思う。

かの人は「采配」が得意なのだ。

「美術館はいくらでも修正が効くが、映画は一度完成したら修正出来ない、それが怖い。」という趣旨の事をインタビューで語っていたが、映画は美術館と違って「また作る」事が出来るのだ。

駿監督は「制作いらずの宮さん」とあだ名される程、制作進行の才能があるそうだが(高畑監督談)采配を振るう点では、吾郎監督はやはり親子なのだなぁと思った。

次回はどんな作品なのか、また楽しみが増えて嬉しい。