「聖断」を読む

[読書感想文]
聖断 昭和天皇と鈴木貫太郎 (PHP文庫)

久々のエントリー。
書かなかった間、半藤一利さんの「聖断」を読んだ。今まで、いかに自分が昭和史に対して無知だったのか、よく判った。
読もうと思ったきっかけは、紀子さんのご出産である。ネット上のここかしこで、「男子誕生」に対して喧々諤々、意見が交わされたが、ふと自分が「天皇制」に対して非常に無知であると気が付いた。
皇室典範を改正するのか否か、女性や女系天皇を認めるのか等々、世に「論客」と言われる人達の意見を読んでも、「今のご時世男女平等なのに、何を時代遅れな。」と現代に視点を置いた論旨の方も居れば、「宮中祭司は古代から連綿と続く神事で、女性は穢れの存在だから受け継げないのだ。」と、日本の伝統にフォーカスを当てて、歴史的視点から理屈を展開している方も居る。どうやら、ちゃんと基礎的知識が無いと、この話しの成り行きを誤って理解するなぁと感じたのだ。
神代7代の頃からひも解くのも、歴史フリークにはたまらないだろうが、千年以上前の話しをしても「仕方無いだろうな。」とも思ったし、そこそこ歴史を知っていれば「天皇なぞ屁でも無い。」とばかりに脇へ追いやられていた時代もあった訳で、現代の日本人が「何となく抱いている天皇家へのイメージ」の源流は「明治維新以降」なのでは無かろうかと思ったのだ。
司馬さんの本をいくつか読めば、幕末〜維新期は詳しくなれるが、明治後期から昭和にかけて、「激動の時代」と言われた割には、きちんと秩序立てて頭に入っていない事に気が付く。(司馬さんはとうとう、昭和史は書いて下さらなかったし。。)学校の授業でも、この時代の事は殆ど「時間切れ」でまともに教わる機会も無かった。「自分で学べ」という事なのだろうが、せめて「とば口」程度は示しておかないと、結局、殆ど何も知らずに成人してしまうんだなぁと改めて思う。

さて、この「聖断」は10年以上前にドラマになったのを観た覚えがある。終戦当時の首相だった「鈴木貫太郎」を森繁久彌氏が演じていたのが印象的だった。ただ、あのドラマでは、あまり昭和天皇にフォーカスが当らず、もっぱら「鈴木首相」の話しばかりだったように思う。
この「聖断」では、明治末期から大正〜昭和にかけて、鈴木貫太郎の海軍時代、侍従長時代、そして戦時中の最後の首相となるまでの様子が、宮中、官邸、と同時中継の様に描かれる。
歴史的事実を知ってしまっているこちら側から、話しを読み進めて行くと、特に危機的状況に陥る昭和20年の7月頃からが、辛かった。
事実を淡々と時系列に並べている文章が、かえってドキドキし、広島、長崎に原爆が投下されてしまう下りは、「もう、数日早く何とかならなかったのだろうか。」と悔やまれてならない。作者の半藤氏も

歴史に「もしも」は無いが、惜しむらくは、ポツダム宣言に対する鈴木首相のコメントがもう少し違ったなら、或は人類にとって大きな福音だったのではないか。

と嘆いている。
当時の情勢や世論がいかなるものだったのか、よく判ったし、それまで自分がちゃんと理解していなかった「統帥権(軍部を統帥する)」と、「国家元首」という役割が並んで天皇の中に、二重構造で存在したと筆者が指摘する下りは、真骨頂である。この二つの権限を時々で都合良く、軍部は使い分け暴走を始めのだ。
今は「ノモンハンの夏」を読んでいる最中で、この後「昭和史」を読む予定になっている。

今度の総理になった「安倍」さんは、憲法改正派だそうだが、果たしてそんな簡単に変えてしまっていいのだろうか?ちゃんと歴史を知らねばならないと、この所痛感するのである。