「火垂るの墓」感想追記とユリイカ8月増刊号

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ゲド戦記」特集のユリイカ8月号を読んでいる。ゲド戦記の記事に関しては日を改めるとして、別の事で「おや!?」と思う。

たとえば、キャラクターの内面を表現するという点では、宮崎(駿)よりもはるかに優れた演出家である高畑勲の監督作品では、アニメ作品というよりは、アニメでつくられたドラマという印象を受ける。
ユリイカ8月号〜宮崎吾郎はいったい何を捨てて無垢を拾ったのか〜池田雄一氏」より抜粋

記事の趣旨は、それまでの「宮崎アニメ」の構造を難解な語り口で解き明かす、ちょっと、取っ付きづらい文章なのであるが、簡単に言ってしまえば、
宮崎駿アニメは、キャラクターを生き生きと動かす程、そのキャラクターの精神はその動き自身に閉じ込められ、結果として「内面が無く」なってしまう。それを補う為に、作品世界自信に「精神」をえる事によって、問題を解消している。」、、、と説いていて、それを比較する使い方で、上記に引用した文章があったのだが、、、

この記事を帰りの電車で読みながら、家に帰り着くと、子ども達が私の母(夕方子ども達と留守番をしてくれている)と「となりのトトロ」を丁度観ていた(DVDで)。
場面は、メイが居なくなった事を知ったサツキが、泣きながら大トトロの所に「助けてくれ」と頼みに行く所だったのだが、、
このシーンをパッと観た瞬間
「あ、浅い!」
と感じてしまった。トトロを見てこんな事を思ったのは初めてである。
たぶん、先の記事が頭にあったのと、先日観た「火垂るの墓」の印象がまだ鮮明に記憶として残っていて、今まで気が付かなかった「差異」が判ってしまったのだろう。

火垂るの墓」を観終わった後で、サツキとメイを見ると、どこか「記号的」で「このくらいの年齢の女の子はこんな感じ」と概念的にキャラクターが作られていると感じてしまう。それは、それで正解だし、最初にトトロを観た時は
「サツキとメイは私たち姉妹と同じだ。」と感動して涙までしたのだから、ある一定以上の(むしろ、高水準な)キャラクターに練り上げられているのだと思う。
でも、、、「火垂る」を観てしまうと、、、キャラクターの作り込み、演出の緻密さ、そして「節っちゃんはきっとこんな女の子」と思わせる圧倒的リアリズムと比べると、サツキとメイがとても平板に見えてしまった。
「だから、宮崎さんは近藤さんが欲しかったんだ。」
と、改めて「火垂る」の作画監督であった近藤喜文氏の力量を感じた。
「トトロ」と「火垂る」を同時制作しなければならなくなった時、宮崎監督も、高畑監督も、近藤さんを制作メンバーに欲しがったそうだ。(元記事をリンクしたいのに、どこにあったのか探せない)
「近ちゃんさえもらえれば、後は宮さんが自由にスタッフを選んでくれていい。」とまで高畑監督は言い切り、宮崎監督は毎日のように「トトロに参加してくれ。」と近藤さんを口説いていたとか。板挟みになった近藤さんが、鈴木Pに相談した所、
「宮崎監督は自分で描けるから。」と高畑組への参加を促したそうだ。その足で近藤さんが宮崎監督の所へ事情を説明しに行くと
「そんなら、俺は今から入院する!俺は腱鞘炎だ絵が描けない!」と言って、駄々を捏ねたそうだ。
数年後、鈴木Pが近藤さんと二人でお昼を食べながら
「あの時は大変だったねぇ。」と話すと、普段は寡黙で温和な近藤さんが、ポロポロと大粒の涙を流したそうだ。よっぽど辛かったんだろう。
それほどまでに、近藤さんには才能があった。今や「巨匠」と言われる駿監督ですら描けない「何か」が近藤さんのアニメにはある。宮崎アニメが大好きな人間が、初めて気が付いた「駿監督もかなわないと思っていた人」の存在を遅まきながら知った。
その差が、よく判るのが「メイ」と「節子」の二人の女の子だ。奇しくも、「トトロのメイ」と「火垂るの節子」は、ほぼ同じ年齢の女の子だ。
同時上映されたこの二つの作品は、同年齢の女の子を描いていた訳で、その事実を考えると不思議だなぁと思う。
この二人の描かれ方を比べると、差は一目瞭然。メイちゃんもとても可愛く、いかにもあの歳の子らしい性格で描かれているのだが、「何年経っても成長しない永遠の子ども」なのである。
一方、節っちゃんは「この子は大きくなったら、こんな女性になったろうな。」と思わせる程、彼女の内面的性格まで判る「リアルさ」があるのだ。緻密で絶妙な演出と、天才的に「日常の姿を描くのが上手い」才能が出会って、節ちゃんというキャラクターが生まれたんだと、始めて認識した。
本当に、本当に、惜しい才能を無くしてしまったものだと思う。

、、、でも嘆いてばかりもいられない。
実は、まだ何の根拠も無いのだが、「ゲド戦記」の作画監督を務めた「山下作画監督」にも、何かがあるように思えてならない。
そして、吾郎監督も監督日誌で「山下さんとは、肌が合うというかお互いに同じ物を「良い」と思えるので仕事をしていても気持ちがいい。」と書いていた。
鈴木Pはインタビューで
「まだ、感だが吾郎君はプロデューサー的な事も出来る人だと思う。」と漏らしていて、次なる仕事はそんな所で新しい役割がスタートするのでは、、とも期待している。