火垂るの墓を観る

[火垂るの墓][ジブリ][映画感想]

火垂(ほた)るの墓 [DVD]

火垂(ほた)るの墓 [DVD]

ずっと避けていたこの作品をとうとう購入した。著作権の関係なのかこの作品のDVDは「ジブリがいっぱいコレクション」に入っていない。(VHS時代には確かにシリーズに組み込まれていたのに)1500円という安売りで特典映像もほんの僅か、DVD1枚だけの封入なのが、他の作品と区別されてしまっているようで悲しい。これだけの名作なのだから、ちゃんと「ジブリコレクション」として周辺情報も含めて、DVDも丁寧に編集して欲しい。そう思う一級品だ。

この映画を初めて観たのは、かれこれ15年以上前だろうか。TV放映されたのを観たのか、レンタルビデオを借りたのか、どちらか忘れてしまったが、1〜2回しか観ていない事は確かだ。多くの鑑賞者が言うように、この鮮烈な内容に怖れを成して「もう観たく無い」と思ったからだ。
初見の時の感想は「ただただ、可哀想。」だけで、「もう一度観たら十分だ。」とも思った。
私が小学校時代には、まだまだ戦後の事を知る人が身近かに多く、よく「体験談」を聞かせてもらった。父方の祖父などは、良き語り部で水戸で空襲に遭った時の事をよく話してくれた。「ガラスのウサギ」も読んだし、「はだしのゲン」ももちろん読んだ、東京大空襲を鮮烈に描いた「猫は生きていた」も映画館で観て、先の戦争がどのようなものだったのか、しっかり叩き込まれて来たと思っていた。

しかし、結婚して家庭を持ち、二人の子どもの母親になった時、「魔女の宅急便」や「となりのトトロ」のビデオを買い与えている時から、「いつか、見せなくては」と思っていたのが、「火垂るの墓」だ。その時は、教育的視点から「伝えるべきもの」としてしか捉えていなかった。

この所、食事の度にふざけて仕方のない下の息子を、毎度毎度叱りつけるのに少々くたびれていた。「食事は大切だよ、食べられるって事はこんなに幸せなんだよ。」
口を酸っぱくして言い続けても、3歳半にはなかなか判らない。上の娘の時はここまでふざけなかったのにと、業を煮やしたのもきっかけとしてあったかも知れない。又、小学2年生になった娘には、そろそろ内容が理解出来る年でもあった。

ゲド戦記を観て、思わず「高畑さん」の事に思いを馳せた事もあって
「今がその時なのだろう。」と決心した。それだけ、この作品に向かい合うには勇気がいった。自分が間違い無く泣く事が判っていたからだ。

ところが、、観終わった後、(もちろん、眼が腫れるまで泣いたのだが)自分のそれまでの理解がいかに浅かったか、思い知らされた。観るべきは子ども達では無く、子を持った私の方だったのだ。

よく、この映画を観た人が

  • 親戚のおばさんは酷い

と言う。(私もそう思っていた)
一方、もうちょっと冷静に解釈出来る人は

  • 清太が妙な意地を張らずにおばさんに頭を下げていれば節子は死なずに済んだのだ

と腹を立てる人も居る。

私も、これだけ月日が経ち、少しは世の中の事が理解出来始めた年齢だから、どちらかと言えば後者の感想を持つだろうと思っていた。ところが、観た後まるで違う感想を持った。

映画に描かれていたのは、紛れも無い現実であり、そこには「特別に悪い」人も居なければ「特別に我が儘」な子どもも居ない、観る側の心にグサリと楔を打ち込む真実の姿だった。この映画が終始一貫して描いているのは
「子どもは現実に対していかに無力であるか。」その1点である。

昭和20年に生きていようが、平成18年に生きていようが、子どもは「楽しい事が好き」で「美味しいものが好き」で「いつも愛されていたい」ただ、ただそう思い願っている存在なのだ。近藤喜文さんの描く、清太や節子はその優しい眼差しで本当に丁寧に描かれている。あの二人は、私の子ども二人と何ら変わらない。。。そう感じると、映画全ての演出に今まで気が付かなかった、精緻な伏線が沢山張られている事に気が付く。

清太の父は海軍の上官で、戦時中にありながらも、生活面でかなりの優遇を受けていた。清太の母は冒頭の空襲で無惨にも上半身に酷い火傷を負い死んでしまう。母は万一の事を考えて、二重三重の備えをしておいた。空襲で焼け出された時の為に、西宮の遠縁の親戚には「付届け」を意味する荷物を先に送り「万一の場合はこれでよろしくお願いします。」という意味で相応の品を選んでいる。庭先には、当面の避難用の食料を怠り無く埋めておいたし、銀行にはかなりのまとまったお金を残しておいた。軍人の妻として、模範的備えだったのだろう。今風の言葉で言えば「リスクマネージメント」はこれ以上無い程だと思える。ただし、この「分不相応な備え」が兄妹を結局破滅へと追いやってしまう。この皮肉な現実も強烈だ。
そして、清太と節子を結果的に「いびり出して」しまった西宮のおばさんは、果たして悪い人なのだろうか?最初に観た時は「極悪人の業つく婆」という印象だったが、今日見直してみると、彼女は「何処にでも居る(当時は)普通の人」だ。ただ、言うなれば14歳の男の子がどんなものなのか、想像力が無かった事が、この悲劇のきっかけだったのだと思う。
おばさんにして見れば、清太の事を「可愛げが無い」と思い込んでいる。彼ら兄妹が居る故の恩恵(貴重な食料品や、物々交換に有利な高価な着物)に心惹かれながらも、それ故に清太達を特別扱いもしたくない、嫉妬や妬みも相まって、「自分の気に入る行動」をしない清太に苛立ちを覚えている。
愁傷におばさんを頼り、消防活動に参加するとか、畑で何か作るとか、甲斐甲斐しく働けば「面倒だ」と思いながらも、もう少し嫌味の数も少なかっただろう。
ところが、清太はおばさんが信用出来ないのだ。彼は節子を守らなければならず、おばさんが期待する行動をしようと思うと、どうしても、節子をおばさんに預けざる終えなくなる。彼はその部分がどうしても出来なかった。というのも、自分一人ですら母の死にどう対処していいのか判らないのに、節子に対して無神経に接して欲しく無いと思っているからだ。おばさんに対する清太の堅い表情や言葉使いはそれを雄弁に物語っている。
最初は、親切な言葉を掛けてくれたが、その言葉の端はしから、彼はおばさんの人間性を鋭く嗅ぎ取っている。台詞は少ないが、アニメーションでここまで表現出来るとは、近藤さんの力量を改めて感じる。

一方、節子の描き方は、もう「言葉が無い」としか言いようが無い。近藤さんは奥さんと共働きで、育児にもとても熱心だったというエピソードを読んだ事がある。4歳の女の子の何たるかを、近藤さんは本当に良く知っている。一つ一つの動きが、生きた子どもそのままで、最初に観た時は、何とも思わなかったシーンで、私は何度も泣いてしまった。
最初の空襲が怖くて、震えて清太にしがみつく様子、大事に懐から取り出したがま口に入った、とりどりのおもちゃ、(ああ、子どもを知る人だから描けるんだと脱帽)、母の死を気配で嗅ぎ取っている様子、束の間の楽しい海水浴でおぼつかない手つきで洋服を脱ぐ仕草、そして、涙無くして直視出来なかった、ラストの防空壕で独り遊ぶシーン。
清太が盗みや食料の調達に出る間、節ちゃんは独りでずっと遊んでいたのだ。
「兄ちゃん、何も要らないから何処へも行かんといて。」
そう、この台詞を聞いた時、私は自分の愚かさを悟った。
この映画で子どもを教育しようなどと思う事が間違いだった、気づくべきは己自身で、子どもはいつの時代も「ただ、抱きしめられて愛されたいだけ。」なのだ。

気が付くと、3歳の息子は私の膝の上で丸くなってしがみついていた。7歳の娘は何度も涙を拭き、終わった後は、静かに寝転がりながら「可哀想だからもう観たく無い。」とつぶやいた。

そう、今はそう思うだけでいい、でもきっといつか、私のように違う視点で感じる事が出来る日が来るに違いない。
この時代を越えて残る名作を遺してくれた、近藤さんに本当に感謝したい。ご本人は8年前に逝ってしまわれたが、仕事はこのようにしっかり残るのかと思うと感慨深い。
そして、間違い無く、この作品は高畑監督の「最高傑作」と言えると思う。原作者の野坂さんでは無いが「アニメ恐るべし。」だ。