ゲド戦記鑑賞記 番外編1

[ゲド戦記][ジブリ][映画感想]
お盆休みを利用して夫の実家(九州)へ帰省のついでに、西日本を旅してきました。(津和野、萩、長崎)息子がおたふく風邪を発症してしまって旅の途中で私と息子だけが先に帰ったのが何とも残念なのですが。。。
夏に、西日本を旅すると日本人として振り返るべき「戦争」の事を生々しく感じられて改めて考えさせられます。関東育ちの私にとって、61年前の戦争は「伝聞」の域からなかなか出る事が出来ず、身近に感じる機会が少ないなぁと思います。一昨年は広島に、そして今年は長崎を訪れましたが、8月にその場に立つと
「あの日もきっとこんなに暑かったに違いない。」
と肌に感ぜられてたまらない感覚に襲われます。この「現場」感覚を忘れてはいけない、そんな事を思っているお盆休みです。
(本当に唐突なのですが、、、そろそろ「火垂の墓」以降の「伝えるべき話し」としてのアニメ作品が出てもいい頃ではとも思っています。この件に関してはまた別エントリーで。。。)


ゲド戦記をもう一度観に行きたいと思いつつ、なかなか叶わないのですが、再度トラックバックと興味深いエントリーに出会いました。

-アニメ「ゲド戦記」再論
-雑魚キャラに愛をこめて

こんな捉え方もあるんだなぁと考えつつ、是非、映画を見終わった後に読まれる事をお勧めする記事です。以下、「雑魚キャラ〜」を読んでの私の感想なのですが。。(以下、ネタバレですのでご了承下さい。)

たぶん、私と似た所を感じられているのだなぁと思いつつ、大きく違うのが映画に対する最終的な感想で、私は
「吾郎監督なりに映画の中のキャラクター全てをちゃんと愛していた。」
のだと思っています。(過去形なのは、監督自身が述べておられる通り、もう映画は監督の手を離れて観客のものになってしまっているから)監督日誌の中にこんな一説があります。
-カッティングの痛み
捨てキャラどころか、映画の中の木の葉一枚まで編集の為に切らねばならない事に対しての、「痛み」を新人監督ならではの初々しさで感じておられる、最初にこの日誌を読んだ時にそう思いました。
私も仕事上(グラフィックデザインの仕事をしています)沢山の案の上に成り立つ、たった1点の最終案を捻り出さねばならない場面に多く立ち会います。日の目を見ぬままに闇に消えて行った無数のアイデアや仕事達、そのどれ一つとして「愛おしい」と思われずに世に出たものなど無く、その点は「雑魚キャラ」さんが指摘されている通りです。
それでも、「切らねばならない。」状況は、クリエイションを生業とする家業にはつきもので、その峠を、「もう慣れっこになってしまって何も感じない。」のか「何回通ってもやはり痛い。」と感ぜられるかは、そのクリエイターの持つ大きな資質だと個人的に思っています。
最近「例え闇に消えてしまった仕事でも、その存在は全く無駄では無い。」とも思うようになりました。そうでも思わないと、やっていられない部分もありますが、「闇があるから光がある」の理屈とも関係あるかも知れません。
以前のエントリーで私が書いた様に、今回の「ゲド戦記」はファンタジーの題材を元にしながら、手法は非常に「一歩引いた:高畑手法」を踏襲している感じがして、全てのキャラクターへの「愛情」が感じ取りにくい構成になっています。でも、映画に登場出来ている時点で、全てのキャラクターは「愛されている」存在であり、吾郎監督は「登場出来なかった絵達」にまで心を砕いていたのだろうと思うのです。
このタイプの監督さんは、なかなか理解されにくいですね。心根が非常に優しすぎれば過ぎる程、その傾向はあるように思います。(身近にもそんな人居ますよね。)
夕べ、本当に久しぶりに「もののけ姫」のDVDを息子(3歳)と観ました。
何人かの方が指摘している通り、今回の「ゲド戦記」とその製作過程での真剣度合いは、非常に良く似た作品です。(長さも似てるし、真面目さも似てる)
駿監督が自分でも言っているように「難解な作品」である事は間違いありません、氏の得意とする「笑い」の要素も極端に少なく、猛り狂う女性達は、今回の「ゲド戦記」よりも上回っているくらいです。ただ、全体の出来としては、ほぼ「ゲド」と同じ。派手なアクションシーンと、それまでのジブリ作品には居なかった「二枚目:アシタカ」の存在で、全編保ってしまっていて、逆に主題が見えにくいなぁという感想を持ちました。(最初に公開された時も、主題がぼんやりとしか判りませんでした。)
恐らく、「ゲド戦記」は数年経った頃に評価される作品だろうと私は思うのです。

最後に、最近読んだInvitationの「ゲド戦記」特集から笑い話を一つ。。
ゲド戦記の翻訳者である清水さんが、インタビューの中で、

「原作者のグィン女史から、駿監督に会った後手紙が届きました。『駿に4巻以降のゲド戦記の訳本を送ってあげて、彼はどうやら3巻までしか読んでいないみたいだ』っと。世の中には3巻までしか読んでいない読者は多いのですよ。」


吾郎監督は非常に勉強熱心だなぁと思います。今私も、5巻と6巻を読んでいます。正直、3巻まで程の勢いは無い事は否めませんが、(作家の作品はやはり年齢と共に変化しますね、かの司馬遼太郎氏の作品も、30代後半から40代の脂の乗った時期の作品はぐいぐいと引き込まれる強さがあります。)それでも、年齢を重ねた上でしか書けない、老練さと奥深さがあります。読み終わったらまたその感想なぞも書きたいと思います。