友殺し

昨日あたりから、「高畑勳監督」の事がもの凄く気になっています。その理由は後述しますが、今回の映画「ゲド戦記」を考える上で、同氏の存在は欠く事が出来ないと改めて感じているからです。
私はこの「ゲド戦記感想文 その1」で

と書きました。その考えに変わりは無いのですが、あれから熟考するに
「今回のゲド戦記では、キャラクターグッズになるようなユーモラスな脇役は存在しえなかった。」
という結論に達しつつあります。
映画を酷評している多くの方の意見で、

  • 笑えるユーモラスなシーンが全く無い

というのがあります。仮に、駿監督がこの「ゲド戦記」を作ったなら(実際にはあり得なかったろうと今は思います。)例えば、アレンの乗った馬(もののけのヤックル似)にきっと「名前」を付けたでしょう。ナウシカの「テト」やラピュタの「狐リス」の様な、主人公の肩に乗った小動物を描き、それに名前と命を与えただろうと思うのです。(駿監督は根源的にそうせざるを得ない人物のように思います。)
ところが、面白い事実として原作の第一巻で、少年ゲドは「オタク」という名の小動物(「テト」「狐リス」の原型モデルでしょう。)を連れて旅をしています。この「オタク」はゲドが生死の境を彷徨っている時、こちら側の世界に呼び戻すという重要な役割を果たすのです。以来ゲドは

それからというもの、ゲドは賢くあろうとしたら、人は必ず他の生き物--それがもの言うものであろうとなかろうと--を手元に置くべきだ、と固く信じるようになった。(岩波書店:「ゲド戦記I〜影との戦い〜」より引用)

とされている程、腹心の友として大事に思います。
映画のアレンはゲドの若かりし頃を体現化しているキャラクターでもあるので、恐らく企画段階では「オタク」を登場させるか否か、議論されたのではと思うのです。
ただ、原作の「オタク」はゲドが敵の手に落ちる際に、命を落とし、ゲドがやっとの思いで脱出した時、冬の荒野で冷たい骸となって、発見されます。
この原作の下りを思い出した時に、パッと思い浮かんだのが「原作:風の谷のナウシカ」での「テトの死」です。
「原作:ゲド戦記」も「原作:風の谷」でも、この「声無き腹心の友の死」は単に「お涙頂戴だけの演出」では無いはずです。しっかりと、話の前後を読めばその死は主人公の内面の成長過程において、必ず通らなければならない「痛み」なのではと思います。
と、、ここまで考えて一つの法則に気がつきました。
駿監督は、自身が主導権を取る作品の中で「友殺し」をしないのです。
唯一の例外が「天空の城ラピュタ」のロボットで、シータを塔の上に優しく置いた後、砲弾に直撃されて「死んで(壊れて)」しまいます。シータが絶望的に叫びながら最後までロボットの手を取っている様は、「友の死」を見送る表現そのままであり、事実私もラピュタの中で一番悲しく、一番惹き付けられるナンバーワンのシーンだと思っています。
こんな演出が出来るのは誰か。ふと頭をよぎったのが「高畑監督」の名前です。
ラピュタ」は宮崎駿/高畑勳両巨頭が共に仕事をした最後の作品で、その事実を踏まえると、あの中盤のクライマックスは、「友の死→高畑勳にしか出来ない演出」直後に来る「海賊の息子らのはしゃぎぶり→宮崎駿の個性」だったのだと、初めて気がつきました。(きっとこの様な評論は世に多く出ているのだと思いますが。)
両監督は、この作品以降互いにリスペクトし合いながらも、別々に作品を作っています。知名度の点では駿監督の方が抜きん出てしまいましたが、高畑監督が居たが故の「輝き」はこれだったのかと思うと、この別離以降、「二つに割れた環」と言える作品がジブリには続いているのかも知れません。(ゲド戦記の原作を読まれた方ならお判りでしょう「第二巻:こわれた腕環」です。)
やや話が脱線しているように思えるでしょうが、ここで、吾郎監督が「ゲド戦記」に挑んだ意味が何となく掴めた気がするのです。