やっと娘に答えてやれそうな「死」のイメージへのメッセージ

6歳を過ぎた頃から、娘がしきりと
「死んだらどうなってしまうのか。」
と尋ねるようになりました。
自分にも覚えがありますが、自分と家族以外での社会的つながりが出て来始める頃(小学校低学年)「死」とは一体どんなものなのか、その存在にえも言われぬ恐怖に捕われた時期がありました。今でも、「死」というものを心の奥底にしまい込んで、忘れて日常を送っている向きがあります。(そうでないと、毎日が過ごせませんからね)
ですが、初めて「死」というものを意識し、それに対して大きな恐怖を感じている娘に対し何て答えてやればいいのか、私の中に自信を持って答えてやる術が無く、親としての真価を問われているなぁと感じていました。
ところが、昨日の「ゲド戦記」の中でアレンがその答えをストレートに出してくれました。

「怖いのはみんな一緒なんだ。死があるから生きなくてはならないんだ。」

「怖いのはみんな一緒。」

そうか、何て簡単な事だったんだろう。この台詞を聞いて思わず涙が出て来ました。(今でも涙腺が緩んでしまいます)吾郎監督が一番言いたかった渾身の一言でしょう。
このラストシーンを「今までの遺産の食いつぶし」だとか「怖い描写は子どもに不向き」だとか表層でしか感じ取れなかった人達は不幸でしょう。
娘も、「物が腐ってゆく」過程をよく知りません。死とはどんなものなのか、深淵で簡単には説きがたい問題に対し最初に投げかけてやれる言葉として、これほど勇気づけられる言葉を私は知りません。
クモは魔法の力を借りて、本来の自分を覆い隠していた訳ですが、あの数分間の変容はアニメーションならではの力であり、原作を非常に忠実に再現しています。
タンパク質はやがて細胞の一つ一つが衰え、DNAの中に仕組まれた時限装置が働いて「アポトーシス」が始まる。分解された養分は時に発酵し、ガスを発し、やがてはそれが枯れ、骨だけになり、それも砕けて塵や灰になる。。
クモが怖がって怖がって否定し続けた「死」を身を持って示してくれているシーンで、子どもと共に観る事が出来て良かったと思います。(「もののけ姫」の冒頭に登場するマゴの神の終末と重なりました。)