吾郎監督にしか出来ない事

じゃあ、やっぱり「駿監督でないとダメ」かと言えば、そうでは無く、それまで父が苦手として来た表現を、吾郎監督は意外に難なくこなしている部分があります。それはズバリ「男女の仲」
ラピュタ」の中で、パズーとシータが互いの体を紐でしっかり縛り合ったまま転げて笑うシーンがあります。初めて観た時に
「よく、ここまで男女の微妙な機微を漂白出来たな。」
と思う程、このシーンはサラッと流せて観てしまいます。逆にその事が
「駿監督は、この手の表現は苦手なんだな。」
見る側はずっと思っていました。ハウルでやっとそれらしくなったかなと思うも、永年照れて避けていた為か、「大丈夫だろうか。」とドキドキしてしまいます。
ところが、今回の吾郎監督の「ゲド戦記」には意外にさらりと、それでいて、しっかりと「ああ、ここで恋する気持ちが芽生えたんだ。」と判る事が出来ます。これは、直感的に思うのですが、吾郎監督にはそれをスッと表現出来る才能があります。