七五三とお宮参り-その1-
[子育て]
11 月は本当に忙しい。特に、今年は長男の亮が5歳なので、七五三をしてやりたいと思っていた。昨日誕生日をしたかと思ったら、今日は七五三である。とりあえず、お参りとお祓いをしてもらう事に急遽決めた。なぜなら、絶好の写真日和!昨日は北風が冷たく、生後2ヶ月の尚子を外に連れ出すのはためらわれた。また、風邪でもひかせて入院騒ぎになったらエラい事だ。(この時の事はまた後日)
七五三の事は、9月に尚子を出産してから、ずっと考えていた。丁度、尚子もお宮参りをさせてやれる。我が家の上の子二人の時はお宮参りをする余裕が無かったから(どちらも寒い盛りに1ヶ月のお宮参りになってしまったので)一人くらいは体験してみてもいいかなと思っていたのだ。でも、そうとなると、衣装や記念撮影をどうしたらいいのか、いろいろなパターンをぐるぐる考えていた。
以前、このブログにも書いたが、長女の尭子の時は
* 3歳→写真館で貸衣装の写真撮影のみ。お参りは無し。
* 7歳→私の七五三の着物を着付けて、写真館で撮影、お参りとお祓い。
という風にしたのだが、親の私たちが間に合わせの服装で、後から写真を見た時「う〜ん、もう少し考えた方が良かったな。」と正直がっかりした。写真館も昔ながらの記念撮影なので、ちょっと「硬い」感じにしか写真が仕上がって来なかった。(一度だけ見て戸棚にしまってある。。)最近流行っている、着付けスタジオでの撮影の方が良かったかなぁ、、同じ7歳の女の子を持つお母さんが素敵な和服姿で写っていたのを観て「ああ〜!いいなぁ、私もこうしたら良かったなぁ。」と後悔したりとか、、いろいろ心残りがあるので、そのうちの幾つかでも経験したいなと思っていた。
でも、着付けスタジオでは衣装はいろいろ選べて貸してくれるものの、スタジオ内で自前のカメラでの撮影は禁止されている(商売上当然か。。)自然なスナップショットを撮りたいと思ったら、お参りの時しか撮影のチャンスは無いのだが、多くは着付けスタジオから出る時は貸衣装は脱がなければならない。(最近は「お出かけサービス」と称して割り増し料金を払うと貸衣装のままお参りへ出かけて良い所もあるらしいが、、)
和装にしようか、洋装にしようか、別に和装をレンタルしてそれを持ち込んで、撮影→お参りとしようか、、主役の亮の事はもちろん、8歳のお姉ちゃんの服装は?(まさか、一人だけ思いっきり普段着というのも変だし)生後2ヶ月の末娘のセレモニードレスは?(どうせ、1回しか着ない服をどう調達しようか)産後しばらくは、「あーでもない、こーでもない。」と考えていた。
最近、にょきにょきと背が伸びている亮に、ここで洋服を新調しても、来年の「卒園式/入学式」では小さくて結局着られないのでは、、何てケチな事を考えていたので、この七五三は極力レンタルにしたいと思っていた。
でも、レンタルも購入するも、あまり値段は変わらない。自由にスナップショットを撮影するには、自前の服装の方が良さそうなのと、レンタルは期日が決まっているので、悪天候の場合の変更が効かない。。結局、友人の結婚式に家族で招待してもらうという、もう一つの「フォーマルな予定」が入ってくれたお陰で「2度着る機会があるのなら、新調しよう。」という事で、あまり高く無い服を一揃え購入したのだった。
でも、この判断が幸いした。当初、七五三は11月3日に予定していたのだが、その直前に末娘が入院するという騒ぎが起きて、七五三どころでは無くなってしまった。スタジオの予約はうんと先の23日まで延ばせたが、お参りとお祓いはどこの神社でも11月18日位で終わってしまう。(最近は不在神主の神社が多いもんね)男の子は一度しか七五三が無いから、あの「かしこみ、かしこみ」という体験をさせてやりたいなぁと思っていたのだが、週末は学校や地区の自治体の行事がいろいろと入ってしまって、なかなかスケジュールが組めない。「時間が出来た!」と思うと雨だったり、ものすごく寒かったり、快復したとは言え、入院騒ぎがあったばかりの尚子を連れ出すにはかなり天候を選ばなければならない。
そんな事を思っていた今日!まさに千載一遇のチャンスで、絶好の小春日和。日中は薄手の上着で十分な程のぽかぽか陽気だったので、大急ぎで家族全員の支度をした。しかし、子ども3人に自分の身繕い、夫の髪型まで気を使っていたら、結構な時間になってしまった。午後からは、息子はお父さんと「ヒロミチお兄さん(NHKの体操のお兄さんだった)の親子体操教室」に出掛ける予定だったので、なんとか午前中に、お参りを済ませなければ!本当に綱渡りだった。
最初に向かった、佐波神社は、長女尭子の時にお祓いをしてもらった所で、その時は全く待たずに貸し切り状態でお祓いをしてもらえた。今回もそうだろうと、タカをくくって予約無しで行ってみたら、社務所に誰も居ない!連絡先の電話番号に電話すると「今からだと支度に30分はかかる。」と言われてしまった。う〜ん、あまりに人が来ないから、店番疲れて家に帰っちゃったんだろうな。仕方ないので、近所のもう少し大きくて古い亀井神社へと向かう。
ここでは、ちゃんと詰め所に人が居るのだが、お昼を食べてるのでしばらく待って欲しいとの事。もう、他にあても無いので、境内で写真撮影をしながら、昼食が終わるのを待っていた。
「ああ、やっぱり予約をしておけばなぁ。」と一瞬思ったが、「いやいや、こんなにいいお天気かどうかは、当日になってみなきゃ判らなかったんだから、下手に予約しちゃうよりこの方が良かったんだ。」と一人で納得。来週はスタジオを予約しているから、そこで再び同じ服装をして撮影となるが、今日予行練習出来たから、もう少し手際よく支度が出来そうな気がする。
それにしても、本当に素晴らしい秋晴れで、いい七五三とお宮参りになった。
息子5歳の誕生日
[子育て][お菓子/お料理づくり]
昨日は、息子の5歳の誕生日だった。去年は、平日だったし仕事をしていたので、可哀想な事にケーキを焼いてやれず、お店で買って来たケーキで済ませてしまった。(それもホールケーキが無かったので、普通のピース売りのやつ、、)小さいケーキに適当にろうそくを立てただけなのに、嬉しそうに火を吹き消している写真が残っている。(涙)
今年は、一番下の娘の出産で育児休業中だから、きちんと焼いてやろうと思っていた。ここ数年は誕生日のケーキと言えば「シフォンケーキ」で通していたのだが、今回は少し違うレシピにトライ。
写真のチョコレートケーキが出来上がりなのだが、、粉が殆ど入らないレシピで、ビターチョコ/バター/生クリーム/卵/砂糖で出来ている(うわぁ〜あらためて『カロリー高そう!』)焼きすぎてはいけないそうで、冷えると真ん中がへこんで、2〜3日置いた方が味が馴染んで美味しいらしいのだが、、何とも、失敗したスポンジケーキの様に情けない高さになってしまった。型がレシピよりも大きい物しか無く、計算して分量を増やしたのだが、増やし方が足りなかったらしい。
見た目が派手に膨らむシフォンケーキに慣れているから、何だか一昨日焼いた時は「これは失敗、、」と凹んでいたのだが、結構いい材料(特にチョコレートは味で定評のあるベルギー製)を使ったから、味は悪くないだろうと、気を取り直してデコレーションした。
今回は、新しい試みで紙にメッセージを切り抜き、それをテンプレートとしてケーキの表面に置き、上から粉砂糖を振りかけて、文字を抜いてみた。思ったよりも悪く無い出来で、不慣れなチョコペンで書くよりも、しっかり文字が読めるし、全体のバランスも取れる。難点は文字を切り抜くのが面倒なのと、1回使ったら使い回しが利かない事。。考えたら「お誕生日おめでとう」何て定型文は製菓調理用品としてテンプレートが売ってそうな気もするが、、。
でも、こどもの名前をオリジナルで入れてやれるのだから、なかなかいい手だなと気が付いた。今度は白地にココアパウダーの反転バージョンでトライしてみよう!
ホイップクリームは少ししか使わないので、今回は横着をして「エアゾル式クリーム」にしたのだが、、エアゾルタイプは乳脂肪分が少ないクリームを使っているので、時間が経つと形が崩れて来てしまう。スプレーする時の力の入れ加減がなかなか安定出来ず、絞り出す時にデコボコとかなり失敗してしまった。(粉砂糖とブルーベリーのトッピングで誤摩化す!)やはり、エアゾル式はデコレーションには向かないらしい。。
ともあれ、息子はこんなケーキでも大喜び!嬉しそうにろうそくを吹き消して、二切れも平らげてしまった。見た目はかさが無いものの、味は上品に仕上がっててすこぶる好評だった。上の娘が飛び入りで連れて来たお友達のご姉弟もペロリと食べてくれたので、たぶん、美味しかったのだろう。1日置いた事によって、生地がしっとりと馴染んでチョコレートの風味が引き立っていた。
もう少し、小さい型を買ってこのレシピも精進してみよう!
北の住まい設計社東京ショールーム訪問
[住まいづくり]
本当に久々のエントリー。あまりに更新していないので、心機一転、テンプレートを変更して今まで別々に書いていたブログを1本にまとめる事にする。
昨日は雨が降ってしまったので、予定していた青少年育成協議会主催の「ウォークラリー」が中止に。。。夫が数ヶ月前から会合に出席していろいろ準備に時間を費やしてくれていたのだが、雨であえなく流れてしまうとは。。折角の土曜日だから、この所気になっているhttp://www.kitanosumaisekkeisha.com/07shop/tokyo/tokyo_070628/tokyo_0706.htmlへ家具を見に出掛ける事にした。
自由が丘のちょっと外れにあるショールームは、藤沢の我が家から、横浜新道と第三京浜を使って正味45分程で到着。東京と言っても西の外れなら意外に近いのねと話しあう。
現在、育休中で比較的時間があるので、新築以来懸案だったリビングのバージョンアップを画策中である。今回はテレビ周辺の収納を解決するべく、いろいろな収納家具を検討していたのだが、大好きな「北の住まい」さんでシステム家具的な新しいシリーズを発表したとの事でその現物を見に行く事にしたのだ。
静かなショールームなのに、賑やかな我が家の子達が突如闖入。。お上品な雰囲気を一気に壊してしまい、申し訳ありませんでした。。
でも、やはり「北の住まい設計社」さんの家具は違う!本当にシンプルなのに、木材と技術が違うから、それだけで充分に「見せる」家具です。夫は打ち合わせをしていたテーブルの良さにひとめ惚れ。「このテーブル本当にいいねぇ。」と何度もその感触を楽しんでいました。
今回は写真にあるような収納家具を検討しています。我が家はもっと横に長いスペースなのでオプションを極力シンプルにして倍の長さにしてはどうかと検討中。。
たぶん、注文する見込みです。
「聖断」を読む
久々のエントリー。
書かなかった間、半藤一利さんの「聖断」を読んだ。今まで、いかに自分が昭和史に対して無知だったのか、よく判った。
読もうと思ったきっかけは、紀子さんのご出産である。ネット上のここかしこで、「男子誕生」に対して喧々諤々、意見が交わされたが、ふと自分が「天皇制」に対して非常に無知であると気が付いた。
皇室典範を改正するのか否か、女性や女系天皇を認めるのか等々、世に「論客」と言われる人達の意見を読んでも、「今のご時世男女平等なのに、何を時代遅れな。」と現代に視点を置いた論旨の方も居れば、「宮中祭司は古代から連綿と続く神事で、女性は穢れの存在だから受け継げないのだ。」と、日本の伝統にフォーカスを当てて、歴史的視点から理屈を展開している方も居る。どうやら、ちゃんと基礎的知識が無いと、この話しの成り行きを誤って理解するなぁと感じたのだ。
神代7代の頃からひも解くのも、歴史フリークにはたまらないだろうが、千年以上前の話しをしても「仕方無いだろうな。」とも思ったし、そこそこ歴史を知っていれば「天皇なぞ屁でも無い。」とばかりに脇へ追いやられていた時代もあった訳で、現代の日本人が「何となく抱いている天皇家へのイメージ」の源流は「明治維新以降」なのでは無かろうかと思ったのだ。
司馬さんの本をいくつか読めば、幕末〜維新期は詳しくなれるが、明治後期から昭和にかけて、「激動の時代」と言われた割には、きちんと秩序立てて頭に入っていない事に気が付く。(司馬さんはとうとう、昭和史は書いて下さらなかったし。。)学校の授業でも、この時代の事は殆ど「時間切れ」でまともに教わる機会も無かった。「自分で学べ」という事なのだろうが、せめて「とば口」程度は示しておかないと、結局、殆ど何も知らずに成人してしまうんだなぁと改めて思う。
さて、この「聖断」は10年以上前にドラマになったのを観た覚えがある。終戦当時の首相だった「鈴木貫太郎」を森繁久彌氏が演じていたのが印象的だった。ただ、あのドラマでは、あまり昭和天皇にフォーカスが当らず、もっぱら「鈴木首相」の話しばかりだったように思う。
この「聖断」では、明治末期から大正〜昭和にかけて、鈴木貫太郎の海軍時代、侍従長時代、そして戦時中の最後の首相となるまでの様子が、宮中、官邸、と同時中継の様に描かれる。
歴史的事実を知ってしまっているこちら側から、話しを読み進めて行くと、特に危機的状況に陥る昭和20年の7月頃からが、辛かった。
事実を淡々と時系列に並べている文章が、かえってドキドキし、広島、長崎に原爆が投下されてしまう下りは、「もう、数日早く何とかならなかったのだろうか。」と悔やまれてならない。作者の半藤氏も
歴史に「もしも」は無いが、惜しむらくは、ポツダム宣言に対する鈴木首相のコメントがもう少し違ったなら、或は人類にとって大きな福音だったのではないか。
と嘆いている。
当時の情勢や世論がいかなるものだったのか、よく判ったし、それまで自分がちゃんと理解していなかった「統帥権(軍部を統帥する)」と、「国家元首」という役割が並んで天皇の中に、二重構造で存在したと筆者が指摘する下りは、真骨頂である。この二つの権限を時々で都合良く、軍部は使い分け暴走を始めのだ。
今は「ノモンハンの夏」を読んでいる最中で、この後「昭和史」を読む予定になっている。
今度の総理になった「安倍」さんは、憲法改正派だそうだが、果たしてそんな簡単に変えてしまっていいのだろうか?ちゃんと歴史を知らねばならないと、この所痛感するのである。
「死者の書」を観る
鎌倉の「生涯学習センター」でたった一日だけ、川本監督作品「死者の書」(人形アニメーション)が自主上映されたので、家族で見に行った。
ホールの半分程度は埋まっていたが、殆どが年配の方で、小さい子どもを連れているのは我が家だけ。。「愚図ったら連れて出なければダメかなぁ。」とちょっと不安になる。前半の説明ビデオ15分が下の息子には退屈だったらしく、もぞもぞ、ごそごそ「まぁだぁ〜〜。」と子ども特有の良く通る声で、尋ねられた時には、「もはやダメか!」と覚悟をしたけれど、その後本編が始まると、人形が動くのがただただ面白いらしく、おとなしく見入ってしまった。
実は、私にはレビューを書く資格は無いのである。。。「綺麗だなぁ。」と思ってうっとり眺めていたつもりが、、真ん中過ぎのある一時、不覚にも居眠りをしてしまったのである。。。決して面白く無かった訳では無く、その映像の作りにうっとりしていたのだが、あまりに心地いいので、日頃の疲れが出てしまったらしい。。情けない次第。しかも寝かかった所を「騒ぐのでは。」と心配した息子に起こされたのだから、ザマは無い。ふと耳を澄ますと、イビキをかいて後方で寝ている年配男性も居たから、息子ばかりが白い目で見られる事も無いな、、と変な事を思ってしまった。
真ん中は見逃したものの、最後のエンディングは美しかった。川本さんの人形は懐かしさを感じる。昔はは、「人形絵本」というのがあって、物語のシーンを精緻な人形セットで表現してそれを撮影したものだったが、食い入る様に見つめた覚えがある。子ども達にも筋は難しかったものの、映像の美しさは十分に判ったようである。
吾郎監督新作の意欲を語る
お聞き苦しいかもしれないが、今日発見した毎日新聞の記事を見て、思わず「ほらね!」と心の中でにやりとしてしまった。私の感は当っていた。
実は、映画を見た直後の日記に熱っぽくこんな記事を書いてしまった。
ベネチア国際映画祭での記者会見で、「自分は高畑勲的」と初めて明言。たぶん、父駿の「絵」は踏襲し行くのだろうが、中身はだいぶ違うものになるだろうと、かなりクールな視点で自分の事を見ているなと思う。ファンタジーがお得意の駿監督と同じ土俵に立ってみて、あらためて、父の偉大さを感じたのかも知れない。
このインタビューでも形容しているように「豊富なアイデアを紡いでいく日本建築的な映画作りの宮崎駿」とは良く言ったもので、鈴木プロデューサーも2004年頃にこんなインタビューを受けている。
これは、まるで大工の棟梁のようだ。共通で確認する設計図は無く、棟梁の頭にしか図面は無い。イメージが固まるまで、職人達はじっと指令を待つ、大昔江戸時代はこんな風にして大工は仕事をしたそうだ。だから、常人では真似出来ない「見事な職人芸」が最後には出来上がる訳で、私達はその魅力に圧倒されてしまう。
吾郎監督は、きっと全くスタイルが違うだろう。彼独自の「鋭い視点」で次回作は、グワシッと心臓を鷲掴みにされるような、あるいは、これ以上無いと言える程優しさに包まれた、映画が出来上がるのでは無いかと期待している。(作画監督は、すっかり好きになってしまった山下監督で是非お願いしたい!)
ベネチア国際映画祭
何だか、とっても嬉しくなった。スタンディング・オベーションを受けた時の、監督やプロデューサーの気持ちはどんなだっただろう。そして、何よりも「よかった。」とほっとしたのが、吾郎監督が初めて「次回作」に意欲を見せる発言をした事だ。あ〜良かった。
渡米以後のブログ更新以降、全く発言が入って来なかっただけに、今後の去就がどうなるのか、やや心配していた。やはり、クリエイションは「場数」を踏んでのものだと思う。
「怖いもの知らず」とは良く言ったもので、何事も「初めて」は経験が無いだけに、怖さを知らない。ところが、一度経験し、その怖さを知ってしまうと、その次の「一歩」がとても怖くなってしまう。吾郎監督も相当に勇気のいる発言だったろうと思う。
私はこの決意に拍手を贈りたい。
私の例で恐縮だが、出産は最初の子よりも、二人目の方が怖かった。特に、妊娠期は自分の体であって、自分のものでは無い事を嫌でも自覚させられたし、自分の無分別がもう一つの命を危険に曝すかも知れない事を、体験から学んでしまった後では、何をするにも非常に慎重になった。
賛辞と同じ分量だけ、酷評をあびただろうと想像するが、そこから「もう一度」と思える強さは、たいしたものだと思う。
ふと、今年の春初めて訪れた「ジブリ美術館」の事を考えた。周知の通り、吾郎監督が総合デザインを手がけた美術館であるが、この建物の面白さはもちろん、運営方法や館内のサービスに至るまで、「独特のサービス精神」があって、好ましく思った。
一つには、子どもの目線や興味を良く知った演出になっている事である。例えば、レストランやちょっとした楽屋裏が覗ける窓には、必ず子ども用の踏み台が用意されている。職人さん達が一心不乱に手仕事をしている様を、子ども達は窓越しから好きなだけ眺められるし、「覗いてみたい。」と思う所には必ずこんな配慮がしてあるのだ。
そして、その配慮と非常に対照的だったのが、「館内への乳母車持ち込み禁止」である。受付を済ませた後、スタッフが親切に預かってくれるのだが、この割り切り方に、吾郎監督のバランス感覚を見た思いがした。
私の子ども達は、乳母車を殆ど使った事が無いのだが(車で移動する事が多いのであまり必要無い)電車が主な交通手段のママ達にとって、乳母車は必要不可欠なアイテムだろう。子どもを乗せるのはもちろん、子ども関連の荷物をぶら下げたり、乗せたりと大変に便利だ。ただ、やはり乳母車はどうしても場所を取ってしまう。特に、それ程大きく無い美術館の中を、いくら入場制限しているとは言え、何も対策を取らないでいたら、通常の閲覧者との間に、コンフィグを起こしてしまうだろう。
実際問題、乳母車の近くに立つと、自分の腰より低い位置に、柔らかい肌の幼子が居る事に、どうも不安感を覚えてしまう。何か落とされたら怖く無いだろうか。(そんな不安感もあって、私は殆ど抱っこおぶい紐派だった)
双方の利害を考えて、吾郎館長が取った施策が、
・乳母車は持ち込み禁止
・その代わり、ベンチの充実、授乳室の充実、トイレのオムツ変えスペースの充実、ロッカーの充実
である。
乳母車は持ち込めないけれど、抱っこやおんぶに疲れたらいつでも座れるよう、沢山の椅子やベンチが用意されていたし、きちんと授乳室もあった(中は覗かなかったけど)。あれほど楽しく美しいトイレに「ワクワク」するようなオムツ変えコーナーを私はついぞ見た事が無いし、乳母車預かり所には、常にスタッフがついているようだった。
この采配は見事だと思う。
かの人は「采配」が得意なのだ。
「美術館はいくらでも修正が効くが、映画は一度完成したら修正出来ない、それが怖い。」という趣旨の事をインタビューで語っていたが、映画は美術館と違って「また作る」事が出来るのだ。
駿監督は「制作いらずの宮さん」とあだ名される程、制作進行の才能があるそうだが(高畑監督談)采配を振るう点では、吾郎監督はやはり親子なのだなぁと思った。
次回はどんな作品なのか、また楽しみが増えて嬉しい。